2009年10月6日火曜日

宇田川英一暴行事件後、日本での出来事

宇田川英一は、日本での警察の事情聴取に対して、「申し訳ないことをした。大人気ないことをした。」と言い、殴る蹴るの暴行を働いた事実を認めました。
しかし日本の刑法では海外の暴行は適用されません。

宇田川は暴行は認めたものの「骨が折れるほどやっていない」と言いました。
また、私に対して治療費を払うといいましたが、警察が日本での治療費も払うようにと言うと、それが想定外だったようで驚いていました。

警察は早い段階でお金を貰ったほうが良いということで、何度目かの宇田川の警察への呼び出しの時に、私と宇田川との話し合いの機会を作ってくれました。
私はあの暴行事件の恐怖を思い出してしまうため、どうしても宇田川と会う気にはなれず、友人の女性に代わりに会いに行ってもらいました。
その女性に対し、宇田川は「俺は金がない。裁判でもなんでもやってくれ。」と言ったそうです。
彼女が宇田川に私に対して「何か言うことはあるか?」と聞いても無言だったとの事です。

警察には、次に検察からの呼び出しがあるので、いつでも連絡が取れる状態でいるように言われたため、ひたすら呼び出しを待っていました。
しかし余りに連絡が遅いので2009年の5月に直接検察に問い合わせたところ、私を呼ぶことは考えていないし、どうなるか全く分からないと言われました。
それで私は自分で慰謝料を取るために民事裁判を起こそうと、日本へ戻ることにしました。
しかし時期を同じくして日本で新型インフルエンザ騒ぎがあったため、6月に帰国を延ばした後、検察へ電話をしました。
検察は宇田川は不起訴になり、海外へ出たと言いました。
私は現在宇田川英一との民事裁判のため、行方を追っています。

宇田川英一暴行事件の詳細

宇田川英一はアイスクリームが大好きで 延々とその話をしています。
マレーシアにもアイスクリームを食べに来ているのだと言ってまし
た。
この暴行事件の発端はそのアイスクリームにあります。

ゲストハウスの共同キッチンに古い、壊れかけのワンドア冷蔵庫があります。
上部に冷凍スペースのあるタイプです。
いつもその冷凍スペースにはアイスクリームが入っていたため、物凄い量の霜がついていました。
霜がついてしまうと冷気が遮られ、全体がなかなか冷えないばかりか、電気代も余計にかかるため気になっていました。
私は裕福なオーナーではないことを知っているため、電気代の節約をみんなにも協力してもらうと、大きな声で皆に霜取りについて呼びかけました。
すると一人が、「アイスは自分のものなので、食べ終わったら霜取りをする」と言ってくれました。
しかし、彼は冷凍庫にアイスを残したままチェックアウトしてしまったのです。
そういう事ならと、私はアイスを捨てて霜取りをしようとしました。
すると宇田川がやって来て、アイスは自分のものだと言い、霜取りは止めろと私に言いました。
余計な揉め事はしたくないのでそれに従いました。
その時既に宇田川には凶暴な雰囲気がありましたが、誰がその後私が宇田川から殴る蹴るの暴行を受けることになるなどと予想できるでしょうか?

事件が起きる日の朝、冷蔵庫を見るとまだアイスクリームが入っていました。
前述の通り、凶暴性の垣間見える宇田川と余計な揉め事はしたくないので、夕方まで冷蔵庫に近づくことなく過ごしました。
夕方、私はいつものようにお弁当を買ってきて、冷蔵庫の中に保存してあるものと一緒のに食べようとキッチンに行くと、冷蔵庫の周りに水溜りが出来ていて、冷凍スペースの霜取りも出来ていました。
私は宇田川が霜取りをしてくれたのだと思っていました。

夕飯を終え、部屋に戻ろうとした時、宇田川とホリミツがが戻ってきました。
宇田川は二階の部屋に行き、ホリミツは私と時間つぶしに会話をしていました。
少しすると宇田川が二階から駆け下りてきて、台所にいた桑原に声をかけ、外の扉に向かいました。
私は宇田川が洗濯物でも取りに行くと思っていたのですが、いつの間にか宇田川は私の前に立っていて、次の瞬間拳骨で目の部分を殴られたのです。
私は慌てて逃げようとしましたが、椅子から転げ落ちてしまい、そこで宇田川に何度も何度も蹴りまくられたのです。
肋骨が一本折れ、肩甲骨にひびが入るほどの大怪我です。
命の危険さえ感じました。

宇田川が私に対して殴る蹴るの暴行をしながら言ったことがありますが、私には全く身に覚えがありません。
以下が宇田川が暴行をしながら話した内容です。
・私が冷蔵庫の霜取りをした。
・宇田川が水浴びできないように、私がわざと桶の水を捨てた。
私は夕方まで冷蔵庫の近づいていないですし、宇田川の言っている風呂場はミズグチという人間が使っていたため、私はもう一つの風呂場を使っていました。
全くの濡れ衣です。
宇田川は全くの思い込みで私に大怪我を追わせるほどの暴行を働きました。

宇田川は私にそのまま動くなと言い、一分ほどで宇田川自身の荷物を部屋から持ってきて、私の目の前で着替えて、捨て台詞をはいてゲストハウスから出て行きました。
次の日の朝一で、宇田川はタイへ逃亡しました。

宇田川がゲストハウスから出て行った後、事の一部始終を見ていたホリミツに助けを求めました。
しかしホリミツは二階へ逃げて行きました。
桑原は何事も起きていないというような顔をして、台所から出てきて二階の部屋へ行きました。
私は痛みをこらえながらも、這うように近くの店に行き助けを求めました。
その店の人が警察に電話をしてくれたのですが、場所が分からないからこちらから警察に出向くように言われました
しかし、あまりの体の痛みに動くことも出来ないため、救急車を呼んでもらって病院へ向かったのです。
(この病院で撮ったレントゲンですが、撮り方が悪く、骨折箇所が移っていないため宇田川は日本で不起訴になりました。

宇田川英一暴行事件の起こる前

事件の起こる前、宇田川英一がいるためDE999の雰囲気が悪く、出て行こうと思っていました。
その事をある人に話したら(その人に対しても宇田川は嫌悪感をあらわにしていました)、宇田川は一ヶ月の予定でコタバルに来ていて、既に帰りの切符を持っているらしい、と言ったのです。
既に宇田川は一ヶ月近く滞在していたので、私もゲストハウスを出ることなく様子を見ることにしたのです。
宇田川がいなくなれば、私が出て行く理由はありませんので。

オーナーが4日間留守をすると言って出かけて行った時、宇田川は出て行くとは言いませんでした。
私もオーナーがいない間に出て行くようなことは出来ませんでした
私とオーナーは長い付き合いですので、次にいつコタバルに来れるか分かりませんし、色々な話をしておきたかったのです。
そして事件はオーナーのいない間に起こりました。

De 999G.H.について

「DE999」というゲストハウスの名前は、オーナーが所有していた最初のライトバンのナンバーから来ています。
彼はライトバンに子供の学生服や体操服や靴下や下着を乗せて、コタバル近郊の村を行商しています。
オーナーは決して金持ちではないのです。

ゲストハウスを開業する前。彼はコタバルへの帰り道で、コタバルへ向かう旅行者を見つけてはコタバルまで乗せてあげていました。
コタバル到着後は安いゲストハウスに連れて行ってあげていたのですが、時にはそこが満室で、高いホテルに案内しなければならないこともあり、心が痛んだそうです。
友人に相談すると、それなら自分でゲストハウスを始めれば良いと言われ、一軒家を借りてゲストハウスをはじめたのです。
それが現在の「DE999」です。

「DE999」では破格ともいえる安い値段で部屋を提供しています。
現在のコタバルのドミトリーの相場は10RMです。
しかしDE999では大きな部屋を一人で10RMです。
しかも長居すればもっと安くなります。
それに英字新聞、お茶、砂糖、電気ポット、トイレットペーパー、蚊取り線香のサービスがあり、時には果物やお菓子の差し入れまでもしてくれます。
彼はゲストハウスの運営を商売だとか金儲けだとは考えていません
旅行者を友人と考えているからこそなのです。

DE999には従業員はいません。
人を雇ってしまうとその分部屋代が高くなってしまうのに加え、信用できる従業員を探すのが難しいのです。
つまりDE999は旅行者だけの宿です。
彼は旅行者を信用しているのです。
しかし最近では日本人の年寄りたちが長居し始め、非常に雰囲気が悪くなってきてしまいました。
旅行者の間では日本人宿と呼ばれていますが、オーナーはDE999を日本人宿にしたいわけでなく、色々な国の人に泊まってほしいと思っています。

旅行者が減ってしまうと、オーナー自身が家賃や光熱費を支払わなければなりません。
私は多少なりともその足しになればと思い、コタバルでは出来るだけDE999に泊まるようにしているのです